2008年9月16日 (火)

20世紀少女だなぁ―とシミジミ思った若戸街あるき

プロローグ

私が事務局をやっている「地域プロデューサー講座」でライターの遠藤哲夫さん(以降、エンテツさん)をお迎えして、街あるきをした。「街を五感で体感し、メディア化し、発信する」事をエンテツさんを見習いながら身を持ってやってもらおう!という趣旨である。

今回、街あるきした場所はJR戸畑駅から駅の北側へ向い、若戸渡船に乗って若松の街なかを歩き、また戸畑へ戻ってくる―というルート。実はこのルートと界隈は私の通学・通勤エリアで、少なくとも15年間はお世話になったエリアだ。その後、結婚して住居が変わったので、街とは10年ぶりの街との対面になった。

女だてらにバンカラで有名な小倉工業高校の電子科に入った私は、思春期まっただ中で女とは口をきかないゾ!と決め込んでいる男子と男女なんて一切関係なく人間対人間、丁々発止で付き合える男子の両方にもまれながら高校時代を過ごした。「青春を謳歌」なんてクサイ言葉は嫌だけど、本当にあの頃は毎日が楽しかった。今回の街あるきは、その頃、たぶん25年以上前の思い出と一緒に歩いたのだった。

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第一章 戸畑駅から戸畑渡場

JR戸畑駅から街あるきスタート。JR戸畑駅は洞海湾が近いせいか、いつも寒風吹きすさぶ駅という覚えがあるが、今日はそれ程でもなかった。

以前は駅の高さがもっとずっと低くて、現在のように戸畑駅から見える若戸大橋は壮観に見えなかった。せっかく良い目線に壮観に見えるようになったってのに、駅裏(北側)にはビルが建って眺望が台無しだ。

駅を降りて、いざ戸畑渡し場へGO!戸畑駅下の連絡通路を通り駅裏へ。

昔の戸畑駅は、南側と北側にそれぞれ改札口があって、国鉄(現JR)の定期を持っている友達だけが駅を介して南側と北側を通り抜け近道する事が出来た。

小倉に学校、若松の山奥に自宅があった私は、ひと昔前の不便な交通事情のなか、戸畑駅から直通の若松行きのバスに間に合わなければ、駅前から駅裏へ遠回りして戸畑駅裏から一直線に続く場所にある戸畑渡場の徒歩約10分の道のりをダッシュしなければいけなかった。父の勤めていた会社の社宅は若松の高塔山の中腹ぐらいにあり、片道約1時間30分かけての通学の日々。自宅へは若松渡場からも45分はゆうにかかる道のりだったので、1本逃すと帰宅が大幅に遅れる。しばしば、戸畑駅前から泣く泣くダッシュしながら、持てるハズのない国鉄定期券を持っている同級生がうらやましかった。

遠賀駅から国鉄を利用して通学していたTくんは、とても手先の器用な人だった。当時の定期券は厚紙に印刷されたもので、現在のようにラミネートで覆われたり、その全体が電子化されたものではなかった。Tくんは期限の切れた定期券を細工して、ニセ定期券を作り、親から貰ったン万円という定期券代を懐に入れては悠々と通学していた。見つかったら停学ものだ。誰も怖くてTくんの真似は出来なかったけど、彼の手先の器用さと金銭獲得術がとてもうらやましかった。Tくんは戸畑駅を横断する近道をニセ物定期でやってのけて、「お前、金なかっちゃろーが」と超ド田舎な遠賀弁で自慢げに言われた事を覚えいてる。かれこれ25年以上前の話だ。

戸畑駅裏に出た。戸畑駅から戸畑渡場へ続く道が広く路面整備された以外は、ここの風景は私が通学していた頃とさほど変わっていない。開かれた店先、ちょっとあやしそうで入りづらそうな小料理屋やビジネスホテルなど等。私には、それがとても普通の風景で「まだ、そこにあったね」と安堵したり「懐かしい」以外の何物でもないのだけど、「笑えるー」「かわいー」「おかしー」と歓声をあげながら街あるきする10歳下の女性たちの反応を見ていると、見過ごしてしまいそうな景色もまた違って見えた。

戸畑渡場にたどり着く。昔、ここは「渡船」「電車」「バス」の3つの公共交通機関の発着場が集まる交通の集積地だった。なぜだか知らないけど、渡船のことを「ポンポン船(せん)」と、電車のことを「ちんちん電車」と呼んでいた。

学校で、「ぽんぽん船とちんちん電車を乗り継いで来た」などと小倉っ子に話すと彼らは急に都会面して「お前んち田舎だなぁー」と同じ北九州市に住んでいるのに馬鹿にされた。

極めつけは高校の担任。ある時、バスが大幅に延着してしまい遅刻した。学校では「工業高校の生徒は身体が資本。無遅刻無欠席が第一」と何度も念じられていたのに、だ。始業した教室に恐る恐る入ると若松区一円でしか走っていない市営バスの延着情報なんて教師の耳に届く筈もなく(しかも、若松からの通学は私ともう1人だけだし)、いきなり雷が落ちた。「市営バスが延着したんです…」恐る恐る応戦すると、そんな情報とはお構いなしに「お前ぇ!遅刻するぐらいなら、洞海湾を泳いで来いー!」と怒鳴られた。教室じゅうにドッ!と笑いが広がったことを覚えてる。結局、卒業した際の私の記録は『無遅刻無欠席』だった。

今は西鉄バスの戸畑渡場バス停になっている場所は、ちんちん電車の発着場所だった。今も何となく雰囲気が残っているが、西鉄バスの戸畑渡場旧バス停跡は当時の面影がなく、フェンスに囲まれていた。

若戸大橋の橋脚の真下が旧戸畑渡場バス停で、屋根のないバス停で天候が悪いときのバス待ちは辛かった。洞海湾が真横の寒風にさらされた場所で冬場バス待ちしたおかげで、しもやけが耐えなかった。この橋脚を見ると「しもやけ」と若戸大橋の「歩道」をどうしょうもなく思い出す。橋脚の中にはエレベーターがあり、昔は人と自転車の人はこれを利用してタダで渡れた。貧乏な学生時代、学校から若松の高塔山の中腹の自宅までずーっと徒歩で3時間歩いたこともあった。

そんなこんなを思い出しながら、いよいよ若戸渡船に乗船する。

現在は10分から15分おきに戸畑と若松を1つの船がピストン運行している渡船も、昔は戸畑側と若松側双方に船が停泊していた。昔は利用者が多く、通勤・通学ラッシュの時間には若松渡場でバスを降りるなり、船の改札口へ駆け込んだ。なぜなら、「定員」になると同時に改札の門が閉められ、時刻表と関係なく船が出航するからだ。戸畑駅を利用する八幡高校の友人と一緒に駆け込むのだけど、彼女のほうが少し足が速い。私の目の前で改札の柵が閉じられる事もしばしば。うれしそうに手を振る友人が船に乗り込み、船を見送るハメに何度かあった。そんな光景、今じゃ考えられない。

という訳で、「若戸渡船、定員出航」を出来るだけ文章で再現。

若松渡場に船に乗り込むための乗客が長蛇の列をつくっている。船の準備が整うと改札の大人の腰ぐらいの高さの柵が「カチャーン」と開く。その当時の乗船料は『大人20円、小人10円』。定期券を買っても通学の3ヶ月定期券が何と900円だった。なので、乗船料を現金で払う人が多く、人が前に進む度に「チャリーン、チャリーン」と料金箱にお金が落ちる音がする。改札口のオジさんは野鳥の会みたいにカウンターで人改札を出た人数カウントにカチャカチャと余念がない。

改札のオジさんは手元の人数カウンターを眺めつつ、そろそろ定員になると柵をしめようとする。定員間際になると意味もなく、乗船しようとする人の足が早足になる。滑り込もうと身をよじらせる人たち。オジさんはカウンターをにらみながら非常にも柵を閉める。「カチャーン!」。改札のオジさんは即刻「ジリリリリ…」という発船合図のベルを鳴らし、同時に「定員」とマイクで船乗員のオジさんに伝える。船のほうはというと山手線の列車乗り込み風景よろしい状態。乗客は前後にある入口に駆け込み、船体にギューギューに詰められる。

船の扉は外側から、船乗員によって開閉される。彼らの仕事は船と渡場をロープで接岸させたり・離したりするのが仕事だ。前と後ろの扉が閉められ、施錠されると渡場と船をつないでいたロープがほどかれ、前の扉担当の船乗員が「ピイイっ!」と威勢のよい笛を吹く。ほどなく船は船首を戸畑に向けながら「プッ!」と戸畑側に停泊している船へ、出航したぞの合図をするのだ。

確認と合図、人力のキビキビした動きと様々な音のリズムに見送られながら、私は通勤・通学していたのだとしみじみと思い出した。

第一章終わり。

第二章     若松の街 てんぷら屋のお富編

ご存知の方も多いと思うが、若松は石炭積出港として大きく繁栄した時代があった。若松渡場周辺に残る往時のモダンな建物は、当時の名残り。今日も名残りの遺産で、北九州フィルムコミッションが誘致したTVドラマのロケが行われていた。江口洋介と椎名桔平が来ているんだそうだ。『街あるき』じゃなければ、事務局じゃなければ、出待ちするのに…。不謹慎ですみません。

火野葦平の『花と竜』はその当時の若松を舞台にした物語。後に映画化され、仁侠映画の草分け作品となった。「任侠」と言うと何だか「ヤクザ者」みたいなイメージが先行しがちだけど、若松はその意味どおり、「弱い者を助け強い者をくじき、義のためならば命も惜しまないといった気性に富むこと。おとこ気。 by大辞林」そんな気性の街だ。流れ者が集っていた街だけに、どんな人でも受け入れる懐の広さと誰の話もきちんと聞く、しかし、気性が荒く、厳しさもある一方で仁義を通す人が多い。と、そう勝手に思っている。

ドップリ若松育ちの私は、中学時代、どんなに手の付けられないヤンキーや少年院に出入りした不良でも「筋をとおす」「弱いものイジメしない」という最低限のモラルを持っていた事を見てきた。そんな彼らに全身で向き合う教師も多く見てきた。ただ、教師も生徒もいささか気性の荒さは否めなかった。

そんな中学時代、とても足の速い同級生がいた。ニックネームはお富。チーターのように長い足とストライドで運動会の人気者。お富と私は背格好、眼鏡姿がそっくりで、たまに後姿を間違えられる事があった。でも、学校一飛びぬけて足の早かった彼女と私との間には雲泥の差があって、コンプレックスさえ感じる事さえあった。

中学時代というと、些細な事でお互いが傷つけあう多感な頃だ。たまに、目立つお富を「やーい、てんぷら屋ぁ~」とからかう男子がいたが、彼女の足の速さの方が下手な中傷に勝った。中学時代の数少ない思い出の中に「てんぷら屋のお富」という言葉とチーターのようにグランドを走る彼女の姿が残った。

ひょんな事で『雲のうえ』で大評判になっている「丸窓」が彼女の実家だった事を知ったのは昨年の事だ。私の父とお富のお祖父さんが同じ病院で入院し、母親同士が病院で再会した事でわかったのだ。

丸窓のてんぷらは、時々むしょうに食べたくなって買いに行く。しかし、店先では主にお富の妹が接客をしていたので気が付いていなかった。それに、丸窓は気前の良さが売りのお店。「『雲のうえ』を見て買いに来ました」「小倉からわざわざ買いに来ました」等と言おうものなら、てんぷらがおまけで2,3枚入る。

ある日、お富が接客してくれた時があったけど、おまけ欲しさに同級生を名乗るのも嫌だし、私など覚えていないだろう、と、一見のお客を装った。

街あるきの最初の目的地は他でもない、この「丸窓のてんぷら」。午後4時近くにたどり着いた私たち一行が見たのは「売り切れ」文字だった。あぁ、ガックリ。その丸窓の店内の奥に、昔のようなほっそりとした姿でせっせと片づけをするお富の姿を見つけた。

彼女が「やーい、てんぷら屋ぁ~」とからかわれ、サラっとかわした日々から約30年が経つ。

近い将来、あのフックラとしたてんぷらづくりに精を出し始めるのだろう、きっと。お富が堂々と「てんぷら丸窓」を引き継ぐ姿が目に浮かんだ。

第二章終わり。

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2008年8月 8日 (金)

「昭和20年8月9日。もしも、小倉が晴れていたら」映画上映会&トーク

今月末、自主上映会を行います。皆さまのお越しをお待ちしています。

「昭和20年8月9日。もしも、小倉が晴れていたら」映画上映会&トーク

■日程
平成20年8月31日(日) 13:00~ (約2時間)

■開催場所
北九州市八幡東区東田1丁目5番7号
ヒューマンメディア財団ビル1階 マルチメディアホール

■プログラム 映画2本上映。その後トーク。
(全体スケジュールは約2時間30分)

映画『魔法のランプのジニー』(アメリカ/2005/16分)ステファン・ソター、トレース・ゲイナー監督作品 
アメリカの12歳の少年2人が描いた広島・長崎原爆に関する短編ドキュメント。
国連や全米各地で上映され、絶賛された。国際子ども映画祭(ロサンゼルス)出展作品。

映画『ヒロシマ・原爆の記録』(日本/1970/30分)監督:松川八洲雄
映画的嘘を排し、遺されたモノを使って、原爆を受けたヒロシマとそこに生きていた人々を描き出そうとした作品。原爆投下一ヵ月後に撮影されたフィルム、資料館遺物や写真をコラージュした証拠資料による映像証言。教育映画コンクール金賞、フランス・ツール映画祭入賞他。

トーク:小倉が原爆投下の目標となった理由と被爆体験者のお話をそれぞれお聞きします。
工藤瀞也さん(小倉と原爆-軍都小倉と毒ガス爆弾・風船爆弾製造の記録 著者)
青野悦さん (大正15年生まれ、被爆者。北九州原爆被害者の会若松支部副支部長)

■料金:大人1000円、学生(小、中、高、大学)500円※幼児無料

【主催・お問合せ】
北九州しねま研究会 代表 吉武あゆみ Tel&Fax:093-582-4784、Mobile:090-1349-7362
※北九州しねま研究会とは… 地域の映画文化振興を目的に2002年4月より自主上映会企画、映画の勉強会、地元ならではの映画情報発信ほか様々な企画を行っているボランティアの市民団体です。

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Hirosima_genbakunokiroku_2  映画『ヒロシマ 原爆の記録』より

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2008年6月28日 (土)

映画をキーワードにしたまちづくり戦略&市民美術大学前期終了

今日は午前中が講師。夜が受講生という何とも楽しい1日。

北九州市民カレッジの講師を受ける際、
北九州の様々なまちおこしのカテゴリーの1つとして、
映画をキーワードのまちづくり話をして欲しいと頼まれたので
1人の市民が映画というツールを使って
どこまでまちづくりに関与できるのか?
それから、北九州市の映画的現状を数字的根拠も入れて
きちんと説明しようと資料集め、ヒヤリング調査等して、
かなりきちんとしたプレゼン資料(パワーポイント)を
そろえて行きました。
が、2時間を北九州FCのHくんとシェアしたので
資料は3分の1ぐらいしか使えませんでした。

(北九州FCのHくんは私のプレゼン資料を見てて
 「おー!その資料参考になる。今度、俺の説明で
 使いたいのでちょうだい」と。
 もったいないので、気前よくコピーしてあげましたとさ。
 たぶん、何のためらいもなく、
 自前の資料の様に使うだろうな!あはは)

とはいえ、議論する中で
映画をキーワードにしたまちおこしというの
北九州にとってわかり易い有効な戦略になるのでは?
という思いが改めて湧いてきました。

それには2つのメリットがあります。
1つは、映画をキーワードにした地域資源の保護。
(折尾駅、旦過市場など。
 ロケ地としての地域資源の保護を盾に結果的に地域財産の保護)
2つ目は、映画をキーワードにした文化振興→創造都市へのシフト。
(自主上映会のノウハウは惜しみなく伝授するし)

うん。何かいいカンジになってきましたね。
興味のある人とNPOでも興しましょうか?わーい(嬉しい顔)


18時30分から
市民美術大学前期最後の講座受講。
今日も100人以上の受講生が参加していました。

市民美術大学の講義は本当に質が高い。
話もわかり易く面白い。
今日の元熊本市現代美術館館長南嶌さんの話も
エネルギッシュで良かったですねぇ。

どの美術館の人たちも行政組織と上手くかみ合わない
グチみたいな話が多少出るのですが
「彼らは、職場での権利の主張をしているのではなく、
 自己の生活権の主張してるだけ」
と状況を読んだ時点で相手にする事を辞めた(みたい)。

ひたすら熊本現代美術館の果たす役割を
追求し続けたのだなーと。
私は現代美術の範囲を勝手に狭く捉えていたのですが
「近代の私たちが見落としてきたもの」も現代美術と
言い切って、例の松本喜三郎の生人形展など
http://www.camk.or.jp/event/exhibition/ikiningyou2/index.html
数々のもの凄ぉ~い展覧会を企画・開催したのだと。

何だかですねー、制度だ何だとか
コザコザした事を軽々と乗り越えて
最大公約数に文句を言わせない(むしろ評価に値する)。
多くの美術館が新聞社がらみの展覧会に頼るところが
多い中で南嶌さんが館長の時代は新聞社がらみの企画展は
1回しか行わなかったそうですワ。
クリエイティブがクリエイティブを生む。
その正エネルギーに拍手したくなりました。

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2008年6月18日 (水)

私だけが感じているだけじゃないと思う違和感―北九州市立美術館問題

昨日の西日本新聞の朝刊に
北九州市立美術館の”大”問題が半ページ以上さいて掲載されていました。
(12面『公立美術館はどこへ』)

1960年代から特に1970年代にかけて
建設ブームとなったホワイトキューブという名称で
象徴される国内の美術館は
おおかたどこも運営に行き詰っている、らしい。
(そりゃ、そうだろう。公共事業はおおかた建物の建設が先行する。
 ソフトと人なくして建物に命は宿らない)  

なので、どの自治体でも我が街の美術館問題に
頭を悩ませて当たり前なのだと思う。

ところが、私の住む街の北九州市立美術館の問題は
そうした一般的な問題を当然持ちながら
もっと深刻な状態にある。
昨年の9月、ついにプロパーの学芸員が全員退職したのだ。
彼らが退職した理由は、数年前から相談という形で
何度も悲鳴を聞いていたし、私以外に悲鳴を聞いた人は数多い。
彼らは後ろ髪引かれる思いで美術館を辞めた後、
「あぁ、シャバに出てきて晴れ晴れした。刑務所で働いているようだった」
と言った。

昨日の、西日本新聞の記事を読めば、その悲鳴を想像しうる記載がある。
(かなりウル覚え)
『今年4月に入った新人学芸員には学芸員の資格を持つ
 館長が指導にあたっている と副館長は語った。』
これこそ違和感以外のナニモノでもない。

その館長は数年前、
当時の北九州市立美術館の学芸員が企画書を添えて
「澁澤龍彦の企画展やりましょう」
と、言ったら、
「誰?それ」と返事した人物である。
そして、館長の知らない物事はやらないようにした。
※企画書を持っていった元学芸員さんと
 当時勤めていた学芸員さん、ほぼみんなから証言を得たので
 みんなが全員嘘をついていない限り事実である。
※結局、この企画は横須賀美術館にて昨年の10月から
 「澁澤龍彦 幻想美術館」展として開催され、好評を博した。

超簡単に言うと
「館長、その程度の知識もないんですか?!」 って事です。
全くもって、違和感どころかお粗末な話。って、
こういう低ぅ~いレベルに北九州市民をあわせる責任を
誰が取るっていうんでしょー???あせあせ
そのうえ、まだイロんな逸話もあるんですよね。

で…、今日の西日本新聞の記事がネットにないか?
探していたら、もっと摩訶不思議なサイトに行き着いた。
北九州市が設けた「美術館のあり方検討市民会議」
http://www.city.kitakyushu.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=10662
辛い・辛すぎる。何ともオメデタく、もったいない限りでございますげっそり

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2008年6月13日 (金)

『私塾のススメ』&『最高の人生の見つけ方』

 『私塾のすすめ』梅田望夫、斎藤孝共著が
あまりにも共振して面白くて一気に読んでしまった。
今週火曜日の飲み会の前にクエストで買って、
仕事と家事と映画鑑賞の間に読み終えたので
我ながら凄いと思う。

 子どもの頃(と、言っても小学生の頃)、
あれだけ「本の虫」と周囲から言われていたのに、
SF、伝記、推理小説、芥川龍之介をむさぼるように読んで
熱中していたのに(とは言っても、人並み以下かもしれない)、
中学に入った途端、言葉が頭に入ってこなくなった。
今、考えると、自分の意に反した
別の何か(進学を前提とした勉強)を
覚えたり考えなければいけなくなったからー。
かもしれないなぁ。
だって、オバサンになった今でも
好きな事柄に関してはどんどん覚えられるし、
思考することも出来るから。
とにかく、思考することが好きなんだな。
妄想でなく、自分自身の視聴覚で確かめた
事実確認や本を読んで思考することが。

 とにかく、梅田望夫には励まされる。
『私塾のすすめ』は彼がサバティカルする前の著作らしい。
この本に流れるマグマみたいなエネルギーから
良い影響を得たいな。うん。

Kc3a0018  『最高の人生の見つけ方』
仕事後にワーナーマイカルシネマズ戸畑へ行く。
写真のとおり、レディスデー、メンズデーどちらとも
アベックで行くと2,000円にしたそうだ。
「価格破壊」などと揶揄する同業者もいるが
社団法人日本映画製作者連盟調べによると
昨年の平均入場収入は1人あたり1,216円なんだそうです。
http://www.eiren.org/toukei/index.html
韓国では新作が700円程度で見れる。
本当に映画人口を増やしたい「気軽に映画を見る習慣をつけたい」と思うなら
適正価格とホスピタリティとプログラム力だと考えます。

で、この作品は是非、万人に見て欲しい。
大人な映画ですよ。
エンタテイメントと虚構と洒落と人間賛歌に溢れている。
男と女それぞれの愚かさ・可愛さ・有能さが
しっかりと描かれていて良質でナンカイイネー。
(あ、私、またまた酔ってますあっかんべー
映画批評とかそんなレベルでなく、
自分の事と受け止めながら、泣いたり笑ったり
しながら見てしまいました。
ひさびさ万人に見て欲しい映画ですね。

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2008年6月 2日 (月)

刺激的な方々&ゆふいん文化記録映画祭 (ブログ復活します)

この数日間、とても良い刺激的を受けた日々でした。
この出会いの恩を私なりに発酵させて、何らかの形で
社会に還元しなきゃね。

 で、今日のblogは良い刺激を与えてくれた人シリーズ。

◎永井義人さん
5/29職場の講座に講師として来ていただく。
http://blog.goo.ne.jp/nagai_goo/ 《永井さんのブログ》
永井さんほど的確に状況把握・判断出来る人はいない。
その瞬間、次の発想と行動に写るタイミングももの凄く早い。
そのうえ、柔らか腰でユーモアに溢れている。
才能に加え知識と柔らかな人間性、
そしてユーモアを交えて軽やかに物事を動かしていく
スピーディーな姿勢。
うーん敬服です。
ウェブ2.0って、永井さんのような方々によって
発展していってるんだろうなー。

◎岩野俊郎さん
5/30北九州デジタルクリエーターコンテストの相談に
のっていただくため、コンテストの審査員長をお願いしている
画家の牧野伊三夫さんと一緒にうかがう。
知るぞ人ぞ知る到津の森公園園長さんだ。
岩野さんは、ひと言で言うと『信念の塊』のような人だ。
心と心、信念と信念で話し合えるとても有益な時間だった。 Yufudake

***以降、第11回ゆふいん文化記録映画祭にて***

◎井上修さん

Inoue

5/31『出草之歌ー台湾原住民の吶喊 背山一戦』の監督。
(ご本人は1人で撮って編集した映画なので
 「監督なんてもんじゃない」と言っていましたが…)
毎回、ゆふいん文化記録映画祭で「眼からウロコ」体験をしますが
作品と井上さんの話は「ハンマーで頭を殴られたような衝撃」でした。
未だにその衝撃が脳で響いていまして、
私の小さな脳ミソはその余韻をもとに思考を巡らしています。
懇親会でたぶん30分以上、井上さんを独り占めにして
議論出来たのも良かった。楽しかった。
井上さんの論法全てが正しいとは言わない。
しかし、井上さんの論法は私がずっと「メディアとは何?」と
考え続けていた事の答えに最も近い場所だと思う。

『五感を鍛えよ!己の種の根源を見つめなおせよ!』だな。

◎まつかわゆまさん
シネマアナリスト。故松川八洲雄監督の娘さん。
あゆ太郎は松川監督の作品を自主上映会したいと思っていまして、
映画祭実行委員の方に「ゆまさんに直接話したほうが良い」と
アドバイスをされて、依頼も含めてお話しました。
以前から「エネルギーが噴き出している方だな」と感じていましたが、
そんじょそこらの誰も寄せ付けない
一方的エネルギー噴き出しの人と全く違う。
彼女との会話は決して一方通行にならない。(当たり前か)
知識が豊かなだけに、引き出しから様々なモノが出てくる。
私はその引き出しの多さに眼を丸くしながら
まだ、どれだけ引き出しがあるんだろう?と。

それから、
翌日の松川監督の映画『鳥獣戯画』を観て、なるほどと思った。
ゆまさんは確実に松川監督から受け継いだものがある。
「人やモノへの向き合い方」の姿勢。
私と話す時も全身で話を聞き、全身で応えてくれる。
松川監督の作品も、1つ1つの物事に全身全霊向き合う姿勢が
映画を観るものの心を打つ。
日常の中で流されるように生きていると
こうした出来事が自分の行動を省みるきっかけになったりする。

◎中谷健太郎さん&筑紫哲也さん
6/1 2人共雲のうえの存在の方なので当然お話した事などない。
しかし、お二人の思考法を含む考え方・振る舞いは尊敬すべき。
今回の映画祭から、故・松川八洲雄監督の名を冠した
松川賞のコンペティション部門が出来た。
この審査員10人のうちの2人が中谷さんと筑紫さんである。
このコンペの授賞式で審査経過と作品に対する考え方をお聞きして
特にお二人のコメントに「う~ん、参りました」と。
Jyushosiki_2筑紫さんの『茨の同盟』に対するコメント、
中谷さんの『中村三郎上等兵』に対するコメントは
そういう視点で物事を見て・行動されて来られたのだなーと。
筑紫さんの『茨~』に登場する人々への暖かな視線、
中谷さんの「良い事はいい事だ」と思考せず突き進む
社会への危惧に、非常に共鳴しましたね。

筑紫さんの事を「老害だ」と揶揄する方もいますが、
一貫して「一般の生活者の視点で考える」事は全くブレてない。
暖かな人柄で、人と人との繋がりを大切にする。
そういう方だとシミジミ感じました。
もっと筑紫さんの過去の仕事等を俯瞰して、
総体で話を始めないと。
揶揄する側の小ささが露見するだけだと思う。

ここ数年、
近視眼かつ自分の立場から見た物事の判断、
あるいは判断すらも依存している人が増殖している。
(そうした事を煽って、儲けようとするシステムはやめて欲しい。
 「アンチエイジング」なんて、その最たるものだ)

そんな状況に押し流されない、スックリとした方々に出会えて、
私の頭は先週末の出来事を心地よく反芻中です。

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2006年2月 9日 (木)

うずめ劇場『我が闘争』(公開練習)

Uzume_1 旗揚げ公演『わが友ヒットラー』(作・三島由紀夫)から10年。激動の世界に送る、ヒットラーを大いに笑う『我が闘争』 !!!
【作】ジョージ・タボリ【翻訳】須永恆夫【演出】ペーター・ゲスナー【舞台美術】内山勉【出演】梅田剛利、荒牧大道、岩井眞實、藤沢友、米本早木子、松尾容子、他【主催】うずめ劇場【助成】芸術文化振興会舞台芸術振興事業、(財)セゾン文化財団【共催】北九州市、北九州市教育委員会

  今月の2月23日(金)から上演される北九州の地元劇団うずめ劇場の公開練習の様子を見に行ってきました。事前に分厚い脚本を送ってもらっていたので「こんなに多くの言葉を詰め込む役者も大変だけど、その言葉を受け取る観客も大変じゃないかな?」と、思っていました。 しかし、そんな心配は無用です。役者は、まだ台詞がのっていない状態でしたが、喜悲劇のテイストが伝わってきます。何よりも、ヒトラー役の荒牧さんの台詞まわしがヒトラーの独特な口調によく似ていて、しっかりドイツ語に聞こえました。今から公演が楽しみです。

 ところで…、以前、うずめ劇場の主宰ペーター・ゲスナーさんを取材した事があります。ゲスナーさんは東ドイツ生まれ。故郷の話にふれると「東ドイツでは兵役の義務があって、入隊する事がとても嫌だった」こと「兵役中の任務は”西ドイツ”との国境警備で、ストレスの連続で辛かった」ことを話してくれました。ベルリンの壁が崩れて、ドイツ統一・東ドイツが民主化の波にのまれた時期は、西と東で経済の優劣が出来、(日本人と相通ずる)勤勉なドイツ人の性格からか?ゲスナーさんの周辺の父親世代の男性たちは、ストレスで病気になったり、過労死する人が多くいたそうです。

 北九州に来日したきっかけは、奥さんの仕事の都合なのですが、内心は「子供の頃、東ドイツ以外の国に行けるなんて思っていなかった」(一般人が国外に行くなんてよほどの事だった)「子供を平和で安全な国で育てたかった」という思いからだそうです。

 そんなゲスナーさんが日本で旗揚げした「うずめ劇場」が、10周年を迎えます。画家を目指してウィーンへやってきた若きヒトラーの姿を皮肉と矛盾に満ちた笑いで描いた『我が闘争』は、ゲスナーさんが原点を振り返る作品でもあります。ぜひ、1人でも多くの方に見てもらいたいと思います。Photo_4

■■■北九州公演■■■
【会場】スミックスホールESTA(JR小倉駅北口より徒歩5分) 
【日時】2006年2月24日(金)19時、25日(土)13時・19時、26日(日)13時
【チケット】料金 一般前売2500円、学生2000円(当日は500円増し)、ペア券4000円

■うずめ劇場HP http://www.uzume.org/

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